2009年 04月 02日
映画「降りてゆく生き方」のこと。(その2) |
つづきです。
この映画の「コンセプト」から。
http://www.nippon-p.org/concept.html
引用したいところはほかにもたくさんあるのですが、
ほんのほんの、ごく一部だけいきますね。
(前略)
豊かさを目指して国民一体となって「昇っていく」時代においては、たくさん得ることがしあわせのように思えた。
しかし、いま我々は、経済成長がピークを迎えて下り坂となる「降りてゆく」時代に生きているのである。
もう昇っていこうにも、昇るところはない。
あとは、下界に広がる風景を見ながら、足もとをしっかりと確かめながら、降りてゆくことが必要なのである。つまり、私たちにとっていま大事なことは、右肩上がりに駆け上っていく時代は終わった。もう経済成長は望むことはできない。現状をしっかりととらえて、つまり、自然や環境に即応していくという新しい「生き方」「考え方」をもたねばらなないという事実をしっかり認識することなのだ。
人間文明終焉の機器、すなわち人間圏が消滅の危機に瀕しているのは、石油や石炭といった地球システムに重大な影響を与える資源に依存する「ストック依存型」の生き方をするようになったからである。
従って、私たちが人間圏消滅の危機から脱するには、私たちの「生き方」を、地球システムが自然につくりだす物質やエネルギーの循環に依存する「フロー依存型」の生き方にしていく必要がある。
これは、「人間圏」をもういちど「生物圏」に近づける生き方ともいえる。すなわち、人間を「特別の存在」と考えるのではなく、「自然の一部」であり、他の生物と対等である「対称性」ある存在として、「天地自然の理」に則って生活する道を選ぶのである。
それをまさに実現していたのが、我々の祖先である「縄文人」なのである。
(中略)
そして、「生きて行く喜び」を「生き物として」「肉体で」感じるような生き方をすることが大切である。
そのために、「自然」や「動物」や「人間」と一体化するための「祭り」というものの意義をもう一度縄文人や先住民たちに学び、そのスピリットを再現した現代の「祭り」を創り上げるべきである。
自他が一体となる「場」を創造することが大切なのである。
自他が一体となるにあたって大事なことは何か。
それは、「夢」である。
夢を語ることが、他者の情動を引き起こし、新しいイメージを生み出す。
そのイメージが、さらに他者のイメージを引き出す。
そうやって、夢が共有され、大きくなっていく。
つまり、それぞれが、自分を物語り、夢を語り、刺激しあって、ポジティブで大きな夢をつくっていくことが大事なのである。そうすることで、人々はつながり、新しい「コミュニティ」が生まれるのではないだろうか。
その「新しいコミュニティ」の第一関心事はこれまでのように「お金」ではなく、「生命の躍動感」になっていくことだろう。
いのちがよろこび、心がわくわくするようなこと。そういうことで、つながりあうコミュニティ。そんな新しいコミュニティをつくっていくことにこそ、私たちの未来への希望というものが見出せるように思うのである。これまで日本では、東京に全てが一極集中し、地方・ローカルは、その分配や受け皿となってきたのが実情であった。
東京で行われ、流行したことが、全国の地方に広がっていくという構図だったのである。
それは、「欲望」と「お金」が流通する構図だったといってもよい。
しかし、この東京を中心とする全国一律主義は、人間を「マーケット」「数字」「お金」に置き換えてしまうものであり、人と人とのつながりというものは重視されず、むしろ断たれてきたといえよう。これからの出発点は、「お金」ではなく、「人間」「自然」そして「いのち」でなくてはならない。
それこそが、我々現代人が縄文人に学ぶべき最大のものであろう。これからの時代、深刻な世界恐慌となり、景気の回復も見込めないであろう。
だからといって、落ち込む必要があるだろうか。
グローバル資本主義に巻き込まれれば苦しまざるを得ないだろうが、そこから降りてしまえば、もう何も関係ないのである。
あとは、人とのつながりを大切にして、自然と共生をする生き方と、相互に助け合う生き方をすればよい。そういうコミュニティをつくればよい。
エネルギーを心配や不安に振り向けるのではなく、新しいコミュニティの創造に振り向けて欲しい。
(後略/引用ここまで)
この映画の「コンセプト」から。
http://www.nippon-p.org/concept.html
引用したいところはほかにもたくさんあるのですが、
ほんのほんの、ごく一部だけいきますね。
(前略)
豊かさを目指して国民一体となって「昇っていく」時代においては、たくさん得ることがしあわせのように思えた。
しかし、いま我々は、経済成長がピークを迎えて下り坂となる「降りてゆく」時代に生きているのである。
もう昇っていこうにも、昇るところはない。
あとは、下界に広がる風景を見ながら、足もとをしっかりと確かめながら、降りてゆくことが必要なのである。つまり、私たちにとっていま大事なことは、右肩上がりに駆け上っていく時代は終わった。もう経済成長は望むことはできない。現状をしっかりととらえて、つまり、自然や環境に即応していくという新しい「生き方」「考え方」をもたねばらなないという事実をしっかり認識することなのだ。
人間文明終焉の機器、すなわち人間圏が消滅の危機に瀕しているのは、石油や石炭といった地球システムに重大な影響を与える資源に依存する「ストック依存型」の生き方をするようになったからである。
従って、私たちが人間圏消滅の危機から脱するには、私たちの「生き方」を、地球システムが自然につくりだす物質やエネルギーの循環に依存する「フロー依存型」の生き方にしていく必要がある。
これは、「人間圏」をもういちど「生物圏」に近づける生き方ともいえる。すなわち、人間を「特別の存在」と考えるのではなく、「自然の一部」であり、他の生物と対等である「対称性」ある存在として、「天地自然の理」に則って生活する道を選ぶのである。
それをまさに実現していたのが、我々の祖先である「縄文人」なのである。
(中略)
そして、「生きて行く喜び」を「生き物として」「肉体で」感じるような生き方をすることが大切である。
そのために、「自然」や「動物」や「人間」と一体化するための「祭り」というものの意義をもう一度縄文人や先住民たちに学び、そのスピリットを再現した現代の「祭り」を創り上げるべきである。
自他が一体となる「場」を創造することが大切なのである。
自他が一体となるにあたって大事なことは何か。
それは、「夢」である。
夢を語ることが、他者の情動を引き起こし、新しいイメージを生み出す。
そのイメージが、さらに他者のイメージを引き出す。
そうやって、夢が共有され、大きくなっていく。
つまり、それぞれが、自分を物語り、夢を語り、刺激しあって、ポジティブで大きな夢をつくっていくことが大事なのである。そうすることで、人々はつながり、新しい「コミュニティ」が生まれるのではないだろうか。
その「新しいコミュニティ」の第一関心事はこれまでのように「お金」ではなく、「生命の躍動感」になっていくことだろう。
いのちがよろこび、心がわくわくするようなこと。そういうことで、つながりあうコミュニティ。そんな新しいコミュニティをつくっていくことにこそ、私たちの未来への希望というものが見出せるように思うのである。これまで日本では、東京に全てが一極集中し、地方・ローカルは、その分配や受け皿となってきたのが実情であった。
東京で行われ、流行したことが、全国の地方に広がっていくという構図だったのである。
それは、「欲望」と「お金」が流通する構図だったといってもよい。
しかし、この東京を中心とする全国一律主義は、人間を「マーケット」「数字」「お金」に置き換えてしまうものであり、人と人とのつながりというものは重視されず、むしろ断たれてきたといえよう。これからの出発点は、「お金」ではなく、「人間」「自然」そして「いのち」でなくてはならない。
それこそが、我々現代人が縄文人に学ぶべき最大のものであろう。これからの時代、深刻な世界恐慌となり、景気の回復も見込めないであろう。
だからといって、落ち込む必要があるだろうか。
グローバル資本主義に巻き込まれれば苦しまざるを得ないだろうが、そこから降りてしまえば、もう何も関係ないのである。
あとは、人とのつながりを大切にして、自然と共生をする生き方と、相互に助け合う生き方をすればよい。そういうコミュニティをつくればよい。
エネルギーを心配や不安に振り向けるのではなく、新しいコミュニティの創造に振り向けて欲しい。
(後略/引用ここまで)
by marujunx
| 2009-04-02 14:13
| トランジションタウンについて